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​~「愛ちゃん」から皆さまへ~

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このページに目を留めて下さり、お時間を割いて頂きありがとうございます。

そして何より、個人である私の闘病にお心添えをいただき心から感謝致します。

 

 私が乳がんの告知を受けたのは2014年の4月でした。

​シングルマザーで、2人の娘を育てるために寝る間もないほど仕事、仕事の生活をしていた私にとって、自分が癌という病になってしまった現実は受け入れがたく、身体の痛みや不調よりも精神的にかなりのダメージを受けました。

 当時の仕事は、知人と共にたちあげた小さな会社の経営でした。

資本金0からの立上げで貯金箱をひっくり返して生活費を捻出しながら、約2年をかけてやっと法人として登記するまでに。。本当に全力を注いでました。

 そんな中で受けたがん告知でした。

リンパ・骨への転移があるステージ4で、手術不可能。

原発巣の乳癌細胞の塊を体の中に入れたまま生きていかなくてはいけません。

骨への転移で肋骨にはヒビ、腰椎は少しの衝撃でも骨折の恐れがあるような状態で酷い痛みでした。放射線治療の副作用で意識が朦朧とするくらいの腹痛に襲われることもありました。骨の薬による副作用で40度を超える熱が何日も続いた事もあります。

それでもせっかく創り上げた会社、娘との生活、どちらも私が守らねば!と歯を食いしばっていました。

 でも、本当に辛かったのは私を取り巻く環境でした。一度は同志と思って共にやってきた相手が、私の状況に全くの無関心だったのです。

治療をしながらの仕事、そこに差し伸べられる手はなく、痛い時も苦しい時もそれまで通り仕事の負担が減ることはなく、私が休むと営業が停止してしまう状態でした。

従業員も抱えている中、立ち止まるわけにはいかず、必死の元気を装って出勤し、業務をこなし、家に帰ると家事も出来ずに倒れこむ。。そんな日々でした。

「何かが違う。。」

「私は娘たちにこんな姿を見せたいわけじゃない。。」

「ここから抜け出したい!」

そんな想いが日に日に強くなりました。

活躍する女性

輝く

諦めない

自分を変える

次第にそんなキーワードで世の中に目を向けるようになっていました。

そして、出逢ったのが

「鏡の中の私 閉じ込めたくないの」

リーダーCyo-coちゃんの最強の笑顔とその想いがギュッと詰まったMirrorでした。

最初は正直、「え?アラフォーでアイドル?何それ?」でした(笑)

でもそのコンセプトを読んで

「すごい!想いを行動にしている!この人と一緒に輝きたい!」

いてもたってもいられず、その場ですぐにFacebookから友達申請をしました。

この時に受けた衝動は、今でも鮮明に残っています。

そこからは、S4Eライブに行くぞ~!という楽しみと、メンバーが増えたよ!今度はここでライブ出来るんだよ!という行動力と実現力に背中をおされ、自分も変われるんだ、出来るんだ、という想いを胸に出来るところから少しずつ変わっていこうと動き始めました。

とはいえ、それまでのバタバタが一気になくなるわけでもなく。。

今度は病気が待ってくれませんでした。

右の胸に居座っているがん細胞が今度は卵巣や肺、腹膜にまで広がり、腹水まで溜まってきてしまったのです。

2017年3月

足の付け根に激痛を感じ、もうほぼ寝たきりの状態で緊急入院。

余命宣告を受けました。

モルヒネを投与され、その後も強い鎮痛のための医療用麻薬を入れ、意識が朦朧としていました。薬が切れると体中がパリンっと音を立ててバラバラに砕け散りそうな痛みが襲ってきて、薬を飲むとスッと楽になって意識がなくなる。。しばらくはそんな状態でした。

そこから何とか復活できたものの、

同年の6月

今度は薬の副作用による間質性肺炎になってしまい、救急搬送からの入院。酸素レベルMAXでも呼吸が整わず、延命治療の同意書まで出てきてしまいました。

この時は家族も覚悟を決めたそうです。

幸運なことに何とか一命を取り留めましたが、下半身は感覚がなく、起きているのか寝ているのか自分の意志がハッキリとしません。治療用の薬の影響で首から上が浮腫み、別人のようになってしまいました。

退院してからもしばらくは自力での歩行が難しく、歩行器を使った生活でした。

いつ悪化してもおかしくない状況に、1泊や2泊の入退院を繰り返しました。

 

そうやって、少しずつ悪化する前の体を取り戻しながら、今があります。

医師にも「奇跡だ」と言われる復活を遂げることができたのは、本当に幸運だったと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

そしてここまでの時間、どんな時も、S4Eは私のそばにいてくれました。

動画を見て、「いくつになっても輝こう!」そう言って全力で活躍する彼女たちの姿に「できるんだ!私はできるんだ!」と勇気をたくさんもらいました。

次から次へと有言実行していく姿に「待って。おいてかないで!」という気持ちになって、それが立ち上がるパワーになりました。

S4Eと出逢い、彼女たちの笑顔と活躍を目にすること、前向きな歌詞を耳にすることでもらったパワーは計り知れません。

それだけでももう言葉では言い表せないほどですが、 「まだまだ、もっと元気になってもらいたから」とその気持ちを行動にしてくれる事に、私が生きていく意味の様なものを見出すことが出来た気持ちになっています。

この先もこの病と付き合っていくには高額な治療費が必要となります。

医療費の制度を利用しても私の体には月に4~5万円が必要です。

今、以前のようには働くことが出来ない体で自分自身を守っていくことすら容易ではない状況ですが、まだまだチャンスはある!出来る!と思っています。

そしてまた元気に走り回ることが出来るようになって、社会貢献していくことが皆さまからのたくさんの愛情へのお礼になると思っています。

​ありがとうございます。

2022年現在、おかげさまをもちまして病状が落ち着いてきました。

社会復帰とまではいきませんが、患者会活動やボランティア活動など、皆様からいただいたたくさんの愛と生きる力を必要な方に届ける側になって日々を過ごしています。

個人的にいただきましたご支援金があったからこその今の私です。

本当にありがとうございました。

この感謝の気持ちを届けていきたい。

同病を抱え、暗闇にいる仲間に「愛、ありがとう」で元気になってほしい。

その想いで、現在は皆様からのご支援のお気持ちを公益財団法人日本対がん協会へ寄付していただいてます。

これからもShine4everと応援してくださる皆さまと共に歩ませていただきたいと思っています。​ありがとうございます。

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